じっくり腰を落ち着けて1つの被写体にたっぷり時間をかけて撮る
とくにマクロ生物はなかなか光の加減や撮りたいアングルなどが難しく、一枚や2枚撮っただけでは納得いく写真が撮れない(ライトなしのコンデジだからしょうがないが)
1つの生物に5分以上はかけたい、そんなじっくりまったり系のダイビングも悪くないし、そういう楽しみ方があるのだなっとダイビングを始めてからだいぶ経ってから感じた。
流れに乗っていくドリフトダイビングなどの移動系ともまた違った時間が流れ、生物と自分の距離が縮まり、水中生物的時間により近づく感覚がある
悠久の時間と共に海と水中生物の息吹に耳を傾け、ひたすら一対一で対峙し、その生物の一番良いと感じるところを撮り続ける
鼻の穴や口の中まで絵になり、すべてのパーツの調和が見事にマッチしてその生物の個性や、独特の存在感が浮き彫りになってくる
こいつは俺に危害を与えないかもしれない、こいつになら撮られてもまあ良いかなっとなるまで会話し、一枚一枚丁寧にシャッターを切る
想いは水中生物にも通じる
こいつは大丈夫だと思うやつには水中生物はむやみに逃げたりしない
妊夫(妊婦)の表情を撮りたかったのだが、なかなか難しい
優しさと厳しさが混在する何とも水中生物らしい表情
妊娠して子孫を残すことができるので安心して嬉しい気持ちがある反面これから
この子にも厳しい現実があり、常に油断が許されない厳しい世界を体現している
むやみに可愛いとか、おめでとうとか言えないのが自然の本当の世界
見つからないようにそーーっと息を潜めて、波や周りの浮遊物と擬態しながらゆらりゆられて漂っていたが、見つけてしまった
「なんだよー、せっかく隠れていたのに、何でわかったんだよー??」っといじけた様子のタツノオトシゴ
背中に悲壮な影が浮かび哀愁漂う後ろ姿
「君がここにいることは黙っておいてあげるから、機嫌を直しておくれ」
水中生物と時間をかけてじっくりと対峙する時間
そんな時間があっても良いと思う
人間とその他の生物が疎遠になってしまっている昨今、人間同士ですらじっくりと対峙することがなくなり、機械や何かを間に通してでしか他人や他の生物と対峙できなくなってしまった人類
相手の懐に入り、相手のホームである海の中に入り直に生物と対峙すると実はいろいろなことを感じることができる。
自然の放つ声、自分から来る本当の声に耳をすませてみよう
帰る場所って実はいろいろある