ジャーニードゥマゲッティダイビング&ネイチャーツアー

今ダイビングにできることパート2

今ダイビングにできることパート2
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コロナショックの中ダイビングができることを考えてみたら

実は自分がいろいろな所から勇気をもらっている気がしてきた

実際にはまだ海には出れないのだが、海を感じることはでき、今まで僕が世界中の海や自然と共に歩み分かち合い体験してきたことを伝えることはできる。

この機会にそういうことをいろいろまとめてみようと思う。

前回話したように【自然】や【しょうがない】という観点からのダイビングもあるが、同じ体験を【共有する】という観点も面白いかもしれない。

しかしダイビングがちょっと特殊なのが水の中では話せないし、チャットもメールもできないので、【共有】がそれぞれの見た個人的な世界に結構偏るという別の面白さがある。

同じ場所に潜っていても、そこまで離れていなくても個人個人が見ている世界は結構違ったりするので面白い。

海の世界でのことを【共有】するのは不便さも含めて、個人個人の世界性の違いも含めてお互いにそれを認め、それすらも面白みに変えながら楽しみ【共有】すること。

「あの魚見た?」「うん、見た見た、こういうやつでしょー?」「え??違うよーこうだったよー」「まあいいかー、あの魚変だったねー、海綺麗だったねー」

個人個人の見ているポイントも違うし、海は常に動いている、しかし海の綺麗さや、海に入る心地良さや、色とりどりのサンゴの群生など普遍的に美しいものと流動的な違いを楽しむことができる。

流動的で何が見えるかわからない、計画通りにはなかなかいかない、思いがけない出会いがある、だからダイビングは面白い、【思うようにならない面白さ】を楽しむ

【思うようにならない面白さ】を楽しむのはなかなかハードルが高いが、ダイビングを続けていると慣れてきて、時に海況が荒れて何にも見られない時もあるが、いろいろある中で一回でも思いがけない凄い出会いがあるとその出会いや自然に感謝するようになり、病みつきになってくる。

忘れもしないアポ島で何かのタイミングがばっちり合ったのか、ギンガメアジの大群を見に行ったら、半端じゃない数のギンガメアジだけじゃなく、ロウニンアジもツムブリももの凄い数同じ場所でわりと長い距離に渡り群れていてそこにまた様々な種類の魚たちが群がり海の中がカオス状態になり、見渡す限り全て魚群の壁になり視界を全て遮るすごい光景に出会ったことがある。

そういう時は水中で話せなくてもお互いに何か感じるものがあり、【共有度】がもの凄く高くなり相手の興奮が伝わってきてこちらもハッピーな気持ちになり、アドレナリンがあふれ出る感じが水中でもする。

なかなか上手く説明しずらいのだが海の中の世界の【共有】というのは宇宙に出た時の共有に似ている所があると思い、お互いのシンクロニシティが高まりより感度が上がると僕は思う。

言葉ももちろんそもそも話せないわけだから必要ないし、宗教とか肌の色とか髪の色とか全然関係ない。

生物は海から生まれて来て、母親の羊水の中という海から人間も生まれて来ていてそれはどの世界の人も同じわけでユニバーサルな世界の【共有】というのがもしかしたらできるかもしれない。

ユニバーサルな物事の共有というのがこれからの時代もっと加速してくるかもしれない。

その時にダイビングはまだ残り続けられるかを考えた時に【共有】というのはまた1つのキーワードになり、もう少しうまくその世界観を伝えられればダイビングというものだけでなく、ユニバーサルな共有の素晴らしさに気が付け、ダイビングがその役目を一つ果たせるのではないかと勝手に思っている。

頭で【考える】だけでなく、より五感や六感を使い【感じる】ことが大切な時代へ

【共有】も頭ではなく心や身体ですることが大切な時代になってくればダイビングは一つの手段として役に立てるかもしれない。

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