2020年はまさに激動の年だった。
まさか20年続けて来たダイビングの仕事を20周年の今年途中で断念せざるを得なくなるとは思ってもみなかった。
今までSARSや鶏インフルエンザ、バリ島のテロの誤報でフィリピンセブ島と間違って週刊誌に載ってしまった事件などで1,2か月お客さんがパタッと来なくなってしまうことはあったがここまで長期にダイビング、観光業ができなくなり、しかもフィリピン政府に強制的に止められる、やってはいけない職業の項目に長期間入れられることを誰が予想できたであろうか?
今やっとダイビングや観光業はやっても良いことにはなっているが、そもそも未だに他の島との行き来ができないし、国同士の行き来ができないので観光客が来るはずもなく、フィリピンの観光業界、ダイビング業界は日本のそれとは比べ物にならないほど壊滅的になっている。
当然フィリピンでは支援も出ないのでそのまま潰れていくか、規模を縮小し、ただただ復活の時を待ちながら他の仕事をしていくしかない。
果たしてコロナが終息する頃にはどれだけの観光業、ダイビングショップが残っているか?
うちはもともと小さく所有しているものも少ないので収入がゼロになっただけでほぼ済んだ。
今年の6月中旬まではドゥマゲッティにいたが、いくら経っても海にすら行けなく、ロックダウンの毎日、ダイビングどころか海に行くと逮捕されるという笑うこともできないほどオカシナ状況だったので6月中旬、まだロックダウン中でドゥマゲッティ空港は封鎖されていたが、運良く臨時便に乗れ、様々な手続きでかなりうっとおしかったがそれを乗り越えてでも帰国したいと思い帰国した。
その後はこのブログにも書いたのでご存知の方も多いと思うが、母がいる山口県の岩国市に移り住み母がやるパン屋と古民家カフェを手伝っている。
フィリピンの海やドゥマゲッティに残してきたもの、ドゥマゲッティでのダイビングや観光業への思いや再起を諦めているわけでは全然なく上記したようにコロナ終息、国同士の行き来ができるまで、つまり観光客が戻って来るまで自分がなすべきことを行いながら待っている。
運が良いことに、人に凄く恵まれているからできるのだが、ダイビング器材がまだ残っている自宅兼ショップを今月末まで家賃を払い続けていたが、うちのドライバーや大家に相談したら、ドライバーの家の空き部屋に置かせてくれしかも彼らが荷物を全て引き払いそこに無償で移してくれた。
ドライバーの給料も「また仕事が再開されたらでいいよ」と言ってくれ、引っ越しの時のガソリン代も、何名かでやってくれた報酬も全て彼が払ってくれ、しかも定期的に連絡くれ心配してくれる。
大家さんも「またドゥマゲッティに帰ってきたらあの家に入居しなさい、今から確保しておくから、連絡しなさい。I miss you」と言ってくれた。
僕には戻るべき場所があり、関わった人達に少なからず恩返しをするという仕事が残っている。
だから何としてでもコロナが落ち着いたらドゥマゲッティに戻りこのジャーニーダイビング&ネイチャーツアーを再開しなければならない。
全てを失いみえてくるものもある。
自分がどれだけ恵まれていたのか、ドライバーや近所の人々、大家さんまで惜しみなく愛を注いでくれる。
ダイビングやその仕事をどれだけ好きだったのか、現在日本に住み他の仕事をしているがダイビングのことを思い出さないことはないし、ダイビングに代わるものとして毎週のように瀬戸内海の島に釣りに出かけている。
海や魚と触れ合うのは自分が好きなことで何よりもなくてはならないもの、人生の一部になっていた。
日本に帰国し、真っ先に心配してくれ声をかけてくれ、近況報告をしたのはダイビングで知り合ったお客さん達だった。
仕事や収入は失ったが経験や感動、人との繋がりを失ったわけではない。
一番大切なものは残っている、あとは時を待ちまた立ち上がるのみ
僕は1人ではないし、ゼロでもない
2020年激動の荒波に揉まれ、とんでもなく予想だにしていない流れに流されたが、遠くに飛ばされても戻れないわけではない、収まらない波はなく、弱まらない流れはない。
また帰る流れをつかまえ、次はもっと成長して戻ればいいや
というわけで、2020年は長いお休みとなってしまいましたが、ただのお休みではなく充電期間であり、フルチャージしてよりアップグレードしたジャーニーで再スタートします。
2020年激動の年も応援してくださり、支えてくださり大変感謝しております。
これは更なる進化の大切で大きなターニングポイントなので、より皆様のお力になれるように今を大切に精進していきます。
引き続き今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2020年12月末 ジャーニーダイビング&ネイチャーツアー代表 五十嵐 唯