ジャーニードゥマゲッティダイビング&ネイチャーツアー

この3年間何をしていたのか??

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コロナ禍でフィリピンに復帰できなかった3年間何をしていたのか?

ただただ指を食えコロナに服従していたのではない

まず3か月ほどはフィリピンで抗ってみたがどんなに言葉が話せても、どんなに強力なコネがあっても、それは意味をなさずに理不尽にロックダウンになり行動制限がなされるだけなので、諦めてその時は全然緩かった日本に帰国しました。

ドゥマゲッティでは警察や軍隊が出動して意味のない規制をかけまくり、ここぞとばかりに逆らうものを無差別に逮捕していました。

何故か海に行くこと、入ることすら許されず、海に行くものが次々と逮捕されたり、連行されていて「これはもうダメだ」と帰国の道を模索しました

その後自由に海で遊べるようになるまでに1年以上が経ち、ダイバー仲間達がダイビングができるようになるまでに2年近く経ったはずです

それぐらいフィリピンは酷かった。その影響で3年経った今ですらダイビング観光客はまだ半分も戻って来ていません

(その分海が綺麗になっていると思いますが)

やっと去年の11月からコロナ入国規制が大幅に緩和されまともにフィリピン入国ができるようになったので今年は復活の年になると思い3年ぶりに復活します

前置きが長くなってしまいましたが、この3年間自分が最も長く住んでいる国フィリピンを奪われ、ダイビング、海という仕事や生き甲斐も奪われ、衣食住、仕事全てを奪われまずは原点に戻るべく日本の母のもとへ行きました

母のパン屋を手伝いながら日本に丸1年間いましたが日本はすでに過去の国のように、衰退し未来が明るくはなく、ここにいてはおかしくなると思い

コロナ前に視察していたジョージアという国への移住を決断しました

ジョージアに移住して早2年、ジョージア国内で様々な経験を積ませていただき、ジョージアを拠点にして様々な国や海、様々な新しい経験をしました

ジョージア移住と共に暮らし始めたパートナーのナミコとその子供達2人とも何とかうまくやっています。今では母も去年の9月からジョージアに移住してきて家族5人で暮らしています

この3年間は結果的にダイビングからは遠ざかってしまったが、ダイビングのプロとしての考え方や行動、海からは片時も離れることはなくブランクになったとは思っていません

むしろこの世界の大きさ、素晴らしさ、現状を色々と見ること体験することができたのでコロナ禍にずっとフィリピンに居続けるよりも良かったと思っています

この3年間の経験が必ずどこかに生きて来ると信じています

無駄なことは1つもないし、コロナだからというのを理由にして挑戦しないこと、変化し続けることを諦めてしまったらそれは3年間を有意義に使ったとは言えないと思うので僕らはとにかくがむしゃらにこの3年間を必死に動き、より良く生きたと言えると思います。

この3年間の経験を今後に活かしていけるようにこのブログでも追々触れていこうと思っています。皆様の何かに役に立てれば光栄です

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